エブリシング・プレイ

鈴木惣一朗、“エブリシング・プレイ”名義で残したアルバムのリマスター音源を配信解禁!
2024.1.17 NEW

鈴木惣一朗が、“エブリシング・プレイ”名義でリリースしたアルバム3作品をリマスターし配信解禁した。

今回配信解禁されたのは、
「ルールー・モナムール」(1987年リリース)、
「POSH」(MONO 1988年リリース)(REMIX 1991年リリース)(STEREO1997年リリース)、
「エブリシング・プレイ~明日はもっと懐かしい~」(1992年リリース)の3タイトル5作品。

最高の音像で配信が実現したこの機会に是非聴いてほしい。


鈴木惣一朗コメント
クラウン・マスタリング・ルームで、自分で立ち合う作業としては「最後かな?」と思いながら聴いていました。
その音像のひとつひとつは、本当に美しいもので、間部さん(マスタリング・エンジニア)の神業によって、フル・デジタルで録音したはずなのに、まるでアナログ盤のような「温かさ」や「柔らかさ」に満ちていました。
特に、アルバム「POSH」はモノラル、リミックス・ステレオ、ステレオのオリジナル・マスターも発見され、過去、最高の音像でみなさんにお届けできます。
思えば、ここに辿り着くまでに、発表から35年という時間がかかりました。
エブリシング・プレイは「今、やっと完成したのだ」と、本気で感じています。


<「ルールー・モナムール』(1987年)について>
エブリシング・プレイ名義の1作目。
本作は、それまで所属していた細野晴臣さんの「ノンスタンダード・レーベル」で、やり切れなかったポップスへの想いが爆発しています。
収録曲は、わずか8曲。けれども、アルバム制作時間は、400時間を越えていました。

クラウンレコードに移籍する以前は、細野晴臣さんが主催する「ノンスタンダード・レーベル」に在籍していました。けれども、その期間は、わずか2年間だった。音楽家として明らかに、ぼくは不完全燃焼でした。そんな不安定な時期に、面識もない小林克也さんが、新しく作ったレーベル(「紅白レーベル」)に誘ってくれました。新しいユニットの名前は、エブリシング・プレイ=もの、皆、奏でる。そこで、当時、好きだった1960年代の「ソフト・ロック」のエッセンスを爆発させました。アルバムには、わずか8曲しか収録されていませんが、制作に要した時間は400時間を越えています。毎日通った、溜池・クラウン第一スタジオが、今、とても懐かしい。ぼくは、あのスタジオの響きが大好きでした。奇しくもそこは、細野さんが名盤『泰安洋行』を作った場所‥言わば、音楽の聖域(サンクチュアリ)だったのです。


<「POSH」(1988年)について>
エブリシング・プレイ名義の2作目。
真正面からエキゾチック・サウンドに挑みました。完成時には「我が最高傑作!もう、これ以上のアルバムは作れない」‥本気で、そう感じていたのです。

1990年を前にして、巷では「ワールド・ミュージック」がブームとなっていました。
それらの音源を浴びるように聴くうちに、ある日、決意しました。「環太平洋を中心とした、非西洋音楽をやろう!」と。
けれども、そうした音楽への知識もなく、やみくもに、突き進んでゆくことは出来ない。
アルバムへの、ガイダンスが必要だったのです。そんな時に、タイの国王が作った歌を知り、こころを強く打たれました。そこから発展させ、総勢50名に近い音楽家を発動させ、全員で「エキゾチック・サウンド」に挑みます。
当時は、ラウンジ・ミュージックという概念もなく「エブリシング・プレイは、無国籍音楽だ!」などと評されました。


<「エブリシング・プレイ~明日はもっと懐かしい~」(1992年)について>
エブリシング・プレイ名義の最終作。この時期は「どんな音楽でも作ることが出来る」という、自負のようなものが芽生えていました。
そしてスタジオに着くと、童謡のような世界が湧きあがりました。
気持ちは、原点回帰していたのだと思います。それが結果、アルバムに、ある種の普遍性をもたらしました。

現コーネリアスのキーパーソン/美島豊明くんとの出会いが、このアルバムのスタートとなりました。
前作『POSH』には、50人近いプレイヤーが参加しましたが、その反動から「今度は、美島くんとふたりだけで演奏しよう」と決めました。
当時は「アンビエント・ハウス」と呼ばれた新しい音楽が人気で、その影響から、自然音を大胆にコラージュして、アルバムの基盤としました。
けれども、そこで展開されたメロディやリズムは、ぼくが小さい頃に聴いた「童謡」や「唱歌」の世界でした。「明日はもっと懐かしい」という不思議なサブタイトルも、それに由来します。
結果、それが、アルバムに、ある種の普遍性をもたらしたのだ思います。